Story1 -娘が生まれてくるまでのこと-

娘に出会うまでにはとても長い道のりがあった。

私は結婚してすぐにでも子どもが欲しかった。

子どもの頃から赤ちゃんが大好きだったから…

 

でもなかなか授からず、結婚して2年が過ぎる頃から不妊専門病院に通い始めた。

病院では検査もしたけど特に原因らしいものはなく、ちょっとホルモンバランスが悪いくらいかなって言われた。

旦那にも特に問題はなかった。

 

それでもやっぱり授からなかった…

不妊治療をしたことがある人はわかると思うけど、タイミング療法から人工授精へとステップアップする。

間隔をあけて人工授精を繰り返す…といっても仕事もしていたからそんなに何回もできたわけではなかったけど。

 

人工授精の何回目だっただろう、忘れてしまったけど…

初めての陽性反応が出た。

すごく嬉しかった…でもそれもつかの間、化学的流産だった。

持ち上げられて一気に落とされるような感覚。

辛かった。

すごく泣いたと思う、でも諦める気持ちはなかったし、なんでかな、この時は周りに対しては明るくふるまえていた。

 

そして時が過ぎて、また陽性反応が出た。

ちゃんとエコーで胎嚢も確認できた。

次は心拍の確認。

検診の日、ドキドキしてはいたけど大丈夫だと自分に言い聞かせて診察へ。

先生がしばらく無言の後、「うーん、聞こえないね…」文字にすると冷たく感じるかもしれないけど、すごく優しい声だった。

診察室で椅子に座ると涙が出てきて、声に出して泣いていたと思う、正直よく覚えていない。

でも覚えているのは先生が私が落ち着くのをずっと待っていてくれたこと。

 

流産した。

残酷なもので、それでもお腹の中にいる小さな小さな亡くなってしまった命は外に出してあげないといけない。

短い間だったけど私を幸せな気持ちにしてくれた小さな命とお別れの日。

その日のことで覚えているのは処置をしている間、麻酔で頭の中はぼーっとしていたけどその間ずっと温かい赤い光がふわふわと目の前に見えていたこと。

そして終わった後、看護師さんが優しかったこと。

泣けるくらい優しかった。

 

でもすごくつらかったんだと思う。

夜中に目が覚めて、急に涙があふれてきて泣いたことを覚えている。

その時、旦那が気づいて起きてきて、抱きしめてくれたことも…

 

いつだったのか覚えていないけど、流産した後、車の中でドリカムの【何度でも】が流れた時も泣いていたことがあった。

正直、情緒不安定だったんだろうな、今思うと。

それでも私は普段と変わらない生活に戻り、仕事をして、家事をして、また不妊治療に通った。

 

7回目の人工授精。

これでダメだったら一度だけ体外受精をしてみようという話をしていた。

なぜもっと早く体外受精をしなかったかというと、単純に経済的な問題もあったし、その病院では体外受精はできなかったので、遠くの病院まで通わないといけなかったから…

それで100%授かる保障もなくて、それでダメだった時のことを考えると怖かったし、勇気も出なかった。

だけど、もう不妊治療を始めて4年が過ぎていた。

不妊のはっきりした原因はないんだけど、そろそろ次へいかないといけないんじゃないかってそれはわかっていた。

 

結果、陽性反応が出た。

嬉しいと同時に、正直怖かった。

また失ったらどうしよう、まだ喜んじゃいけない、まだわからないって。

 

でも今度は心拍も確認出来て、新しい命は10か月間お腹の中で順調に育ってくれた。

正直、順調に経過していても不安は常にどこかにあって、消えなかった。

それでもその不安よりも多くの幸せな時間をたくさん与えてくれたし、妊娠することは本当に奇跡なんだって教えてくれた。

そして予定日ぴったりに産まれてきてくれた。

それが私の娘。

 

長い道のりを経て、娘と出会うことができた。

そのことに感謝している。

こんな経験をしなければわからなかったことも知らなかった気持ちもたくさんあって、つらかったし、数えきれないくらい泣いたけど、意味があったんだと今は思っている。

 

これはあくまで私の気持ちであって、不妊治療をしている人のつらさや想いはその人にしかわからない。

それぞれの状況も気持ちも違うのだから…

ただ、もし不妊治療についてあまり知らなかった人がいるのなら、こんな風に不妊治療をしたり、つらい中でも頑張っている人がいるということを心に留めておいてくれたら嬉しい。

 

娘を初めて胸に抱いた時、とても愛おしくてずっしりとした重みを感じた。

可愛い声で泣いていた。

私も泣いていた。

「みい、産まれてきてくれてありがとう」

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