みいが産まれてからは世の中のお母さん達と何ら変わりなく、多忙で、寝不足で、若干だらしない日々を過ごしていた。
だらしないというのは格好の話だ。
でも本当はだらしないんじゃない、それが尊いのだと思う。
産まれたばかりの我が子と過ごす日々は愛おしくてかけがえのない日々だった。
あっという間に1ヵ月健診の日がやってきた。
実は産まれてすぐの聴力検査でひっかかっていて、左耳はOKだけど右耳がパスできないと言われていた。
だから1ヵ月健診では聴力の再検査もすることになっていた。
1か月間、不安じゃなかったかといえばそんなことはもちろんなくて、でもきっと多忙なことを武器に不安に蓋をしていたんだろう。
1ヵ月健診は一言でいえば『ものすごく長い1日』だった。
聴力検査がすごく長引いた。
3時間待った…
待っている方も疲れたけど、それよりみいが心配だった。
泣き声が聞こえてくることもあったし、途中でミルクをもどしたり、汗びっしょりになって着替えたりしていた。
私の腕の中に戻ってきたときはすごく疲れた顔をしていた。
私に抱かれると安心したように眠っていた。
健診の結果を言うと、聴力以外は問題なし。
聴力は…やっぱりパスできなかった。
動いてしまってはっきりとはわからないけど、右耳が要検査だと言われた。
そして大きい病院を紹介された。
不安だった。でも認めたくなかった。
だからこれは何かの間違いできっと大丈夫なんだと言い聞かせていた。
2週間ちょっとしてから紹介された病院へ行った。
聴力検査は前回よりもうまくいったようだった。
31デシベルでは反応がないが、40デシベルだと反応があるということだった。
難聴があっても日常生活では問題がない程度だし、もしかしたら再検査で正常になる可能性もあると言われて少し安心した。
また6ヵ月の時に検査することになり、その日は終了した。
みいは2か月になりおっぱいやミルクもよく飲んで順調に大きくなっていて、この頃からよく笑う子だった。
この頃の育児日記を読み返すと、「ニコニコ」「笑った」「笑顔」というワードがとても多かった。
でも同じくこの頃、私の中にはもう一つの不安があってその思いがくすぶっていた…
読んでいた育児書の片隅に書いてあったこと。
『カフェオレ斑が6個以上ある場合はレックリングハウゼン病(神経線維腫症)の可能性がある』
カフェオレ斑というのはよくみられるあざのこと。
でも多い場合は注意しないといけない。
みいの体には確かに生まれた時からいくつかあざがあった。
数えるのにも勇気が必要でたぶんしばらく気がつかないふりをしていたと思う。
しばらくはそのことについて口にしなかったから旦那、いやここからはパパと呼ぶことにしよう…パパがどう思っていたのか、気づいていたのかはわからないけど…
でもある日、意を決して数を数えた。
「1、2、3、4…」
もう数えなくてもわかる、6個以上あるし小さいのまで含めるともっとあった。
今はネットで調べればだいたいのことはわかるし、私は看護師として保育園で働いていたので病気について他の人よりちょっとは理解できているつもりだった。
でもネットで見た画像はその時の私にはショックで耐えられなかった…
生まれてまだ3か月にもなっていない我が子の将来を考えると胸が締め付けられそうだった。
正直、今でもネットのレックリングハウゼン病の画像はほぼ見ることができない。
わかっている、特にこの病気は症状の出方が十人十色で予測できないし、ネットで出回っている重症の患者さんの画像が全てではないということも…
その時に書いた育児日記。(走り書きで字が汚いのは勘弁してください。走り書きではなくても字はきれいじゃないけど…笑)
これがその時の私の精一杯だったんだと思う。
どうにか気持ちの整理をつけて書いた文章。
みいは3か月になった。
相変わらずよく笑う、親の私が言うのも当たり前すぎてなんだけど、すごく可愛い赤ちゃんだった(笑)
日々の生活はごく普通に過ぎていく。
1日が早いのはどのお母さんも同じだろう。
そんな中で見つけたもう一つのみいの体の特徴。
右足に比べると左足の足首のしわが1本多い…
きっと気がつかないことも多いであろう、そのことに気づけたあの時の自分を今は褒めてあげたいと思っている。
ある日、パパに話した。
「うん、そうなんだよね…」
そっか、パパも気づいていたのか、さすがだなって思った。
この1本のしわが何を意味するのかはパパも私もなんとなくわかっていた。
予防接種の時などに少し相談して、やっぱり早めに病院へ行くことにした。
左足のことと、カフェオレ斑についてちゃんと診察を受けようと思った。
受け入れたくないというのは親の身勝手だ。
そんなくすぶる思いを救ってくれたのは他でもないみいだった。
みいは毎日、笑顔を見せてくれて、可愛い寝顔を見せてくれて、可愛い声を聞かせてくれて、時には大泣きしながら一日一日成長していた。
そんなみいに何よりも癒されて救われていた。
そして、私達はまず近所の小児科へ行ってみることを心に決めた。
To be continued…